Wednesday, November 5, 2025

魔王と勇者

魔王と勇者といえば、日本で使い古されたテンプレであり、ファンタジーとニコイチといっていいほどの様式となっている。
これが、あまり好きではない。

テンプレが焼き回されて低品質のもので溢れかえってしまったことで価値が落ちているという「経済的」な理由が一つ。
もう一つはストーリーを作るのに便利なプラットフォームだから。
ファンタジーでは勇者と魔王、特撮ではウルトラマンや仮面ライダー、ゴジラ。
DCマーベルのヒーローとヴィラン。
どれも、そこまで好きではない。
たぶん性格的に、プラットフォームに囲い込んでキャラクターとドラマを作り上げる、というのがそんなに好きではない。
プラットフォームが好きではない。
なぜかといえば、やはりプラットフォームがどう作られたかのほうが気になってしまうからだろう。
なぜドラクエのラスボスはいつも悪い教会や帝国や宇宙生命体ではなく異種族の知的生命体である魔王で、
冊封体制を築いたり外交的搾取や委任統治をする代わりに、毎回侵略破壊行動でわざわざコストの高い戦争行為を起こすのかなど、
作品の面白さはそれとして、外堀の部分が気になってしまう。
また、エルサレムのアイヒマンのように本当の悪は目に見えないものだという思いもある。

昨今プラットフォームからゼロベースで作っていては、マーケットが商品で溢れかえった現代で、
人気や集客を得るなんてのはいくらマーケティングにじゃぶじゃぶ金を注いでも難しいだろう。
ファンベースがないからだ。
商品として考えたときに、これではあまりにリスクヘッジの目処が立たない。
収益化してビジネスにできるようなコンテンツなど限られたものと言ってしまえばそういうものかもしれない。

ならばそこまでしてコンテンツビジネスを拡大し続けることにどれほどの価値があるのか、
なんて考えてしまったりすることもある。
ただいくら考えても、今日いま腹が減るからそうやって稼ぐしかないんや。
明日まだ仕事があるかもわからんのやないか。
会社が従業員を養ってくにはそうするしかないんや。
仕方ないやないか。
ではいったい俺は何のためにゲームを作っているんや。
リルケは内から湧き上がる必要性が無いなら詩なんて書かないでええ、と言った。そう、関西弁でな。
俺はそれが全てとは思わない。
アレントの言うところでいうと、リルケは「仕事」の男だ。
それが誰かに思いを届けるための「活動」でもあってほしい、と思う。
いやむしろそうあってほしい。
ただリルケの言ってることも正しい。歴史の淘汰を生き残るのは優れた「仕事」だけだ。
「永遠の価値」はそこに見出されるものだろう。
その永遠の価値が市場においてカネに換算されることで「現世の価値」付けがされることで、
それは初めて「労働」になる。人間には労働が必要だからな。
プラットフォームは「永遠の価値」をなるべく少ない抵抗電流で効率よく「現世の価値」に変電するための仕組みということだ。
まあだからNFTとかが出てきて別の方法で価値変換効率を上げようとしたんだろうが、結局まだ成功を見ていないようにも思う。
結局、いま思いつけそうでもう実践されてるプラットフォームでの価値の劣化に対抗する手段は、
プラットフォームに乗っかりつつそれを批判してちょびっとだけ改善案を残していく、ということに尽きるのか。
というわけで次回ドラクエは魔王同士の政争が原因で魔界が二分し、
お互いの魔王が相手を抹殺するために被支配階級である人間を使って人体実験を行って「勇者」を作り出し、
勇者という名を与えらただけのモンスターに限りなく近い存在はそれと知らずに魔王を倒しに行って
お互いを魔王の手先と信じる勇者同士で血みどろの殺し合いを繰り広げる、といった展開が見られることを期待したい。