Tuesday, April 5, 2022

ブチャ

キエフ州ブチャとイルピンで行われたジェノサイド。こうならないで欲しいと願っていた。

2019年、ボスニアを訪れた際、戦争博物館へ行った。モスタルの戦争博物館、未だに網膜に貼り付く、迫撃砲の直撃を受けた男の子のリュックサック。彼は小学校の校庭でサッカーをしていて殺された。リュックサックにこびりつく色褪せた血の赤。

サライェヴォの戦争とジェノサイドのミュージアム。写真からフレームアウトする夥しい数の棺桶。スレブレニツァだ。

今回の戦争でロシア軍が攻勢で劣勢に転じ始めた辺りから民間人がターゲットにされていると知ったとき、思い出さないわけがなかった。スレブレニツァより少ない?数の問題は無意味ではないが、押さえるべきは殺戮の背後に見える非情、冷酷、いや、言葉にならない。この薄気味悪さと、強制的に惹起される憤り、胸骨に貼り付くようなねばねばした哀しみ。冷静に言語化するのを阻む。

そしてそれはたった20数年を経ただけで呆気なく蘇った。人は歴史から学ばない、そう言ったサライェヴォの博物館員はまたも歴史を言い当てた。